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長渕剛

鎖定
長渕剛,1956年9月7日出生,Nagabuchi Tsuyoshi,日本男歌手、詞曲作者、演員、詩畫家。
是日本民謠歌王(也有人説他是老牌搖滾歌手)。最為中國人熟悉的是:姜育恆的《跟往事幹杯》,就翻唱自他的代表作《乾杯》。而他的代表作《乾杯》,仍是日本人的婚禮上必唱的歌曲,地位如同中國的《朋友》一樣。長渕剛1956年出生於鹿兒島縣鹿兒島市(生於日置市伊集院町),血型A型。簽約唱片公司 Office REN。
本    名
長渕剛
外文名
Nagabuchi Tsuyoshi
國    籍
日本
出生地
鹿兒島縣鹿兒島
出生日期
1956年9月7日 [6] 
畢業院校
九州產業大學
星    座
處女座
血    型
A型
代表作品
巡戀歌
職    業
歌手,詞曲作者,演員,詩畫家
別    名
長渕剛

長渕剛個人經歷

長渕剛高中生的時候參加的一次吉田拓郎的演唱會,喜歡上了吉田拓郎、加川良及友部正人等當時著名的民謠歌手。進入九州產業大學後,又接觸了搖滾樂,受到Neil Young等的影響。在1978年的第15回雅馬哈流行歌曲大獎賽中以一曲《巡戀歌》獲獎。在1980年進入歌壇的長渕剛主要給歌迷留下叛逆的形象,被韓國青少年稱為“日本的金鉉植”。他,1980年,在歌迷們的熱烈要求下,將唱片《逆流》中的一首單曲《順子》以單曲唱片的形式重新發表,大受歡迎,排行榜得魁,一躍成名。從1983年第一次參加電視連續劇《家族遊戲》,作為演員他也大展身手,主演了電視連續劇《保鏢》,電影《英二》等,他的演藝經歷類似前輩矢澤永吉,一邊出CD,一邊演劇。歌曲代表作:《乾杯》(單曲,1988),《昭和》(專輯,1989),《Keep on Fighting》(專輯,2003),《請一定要幸福》(單曲,2003)。
出生於1970年代的朋友一定都熟悉小虎隊的《紅蜻蜓》,這首歌改編自他的《蜻蜓》;《乾杯》被姜育恆翻唱為《跟往事幹杯》。辛曉琪別問舊傷口》源自《傷まみれの青春》。這三首歌在我看來都是吟詠青春,《蜻蜓》是抒發青年獨闖大城市的憧憬與憤懣;《乾杯》中有一句就是“道不盡青春的每一天”,充滿對已消逝的青春的悵惘,如今成為日本結婚式的必唱演曲曲目;《傷まみれの青春》用輕快的旋律歌唱迷茫和憤怒的青春,令人愁腸百結。還有一首《Goodbye青春》,前奏和鄭智化的《水手》很類似,青春的消逝,依然激昂奮進,並未真正喪失尖鋭,而是越發沉隱。1990年代他還為人氣組合TOKIO創作《青春》,可見他對這一主題的熱衷,在我心裏這首歌無疑是《蜻蜓》姊妹篇,激越的旋律略帶着躊躇。
(網友任知撰寫)
早於1978便出道的長渕剛內斂而深沉,落寞而孤寂,是一位高產歌手。他雖然是為高產歌手,但其歌曲無論專輯還是單曲水準都很高!
略歴
1973年
大學祭の前座で初めての舞台を経験。
1974年
友人と2人でフォークソングのグループ(T&Tグループタケシとツヨシ)を結成し、ステージ活動を本格化させる。
1975年
福岡県の九州產業大學へと進學。
場末のバーで、毎回、泥酔した客や頑固な客から“演歌やらんかい演歌!!”と怒鳴られ蹴られるもオリジナル曲を通した。この時はまさに地獄の環境でビール瓶や物がステージに飛んできた(ビートルズのハンブルグ時代と似ていた)。根性はここで鍛えられたと本人は述べている。そして、ライブハウス(照和)での活動が本格化する。
1976年
財団法人ヤマハ音楽振興會主催の、第12回ポピュラーソング?コンテスト(通稱ポプコン)、TEENS' MUSIC FESTIVAL、に出場。‘雨の嵐山’で入賞を果たした(注※公式HPやライナーノーツに書かれてある年表には‘巡戀歌’とあるがそれは間違い。八曜社発行“俺らの旅はハイウェイ”參照)。
1977年
2月25日、1975年のポプコン入賞を機に、ビクター?レコードより、シングル‘雨の嵐山’でデビューするもヒットせず。何故か名前の読み方を“ながぶち?ごう”に変更されていた。編曲は船山基紀によるものである。
1978年
‘巡戀歌’で15回ポプコンの入賞、10月5日東芝EMIから同曲で再デビュー。同年暮れから、南こうせつや莊野真代らとコンサート活動を本格化させる。
1979年
3月5日、初のオリジナルアルバム‘風は南から’をリリース。
7月26日、愛知県筱島での吉田拓郎のコンサートに特別出演。“帰れコール”(長渕自身は“帰れって言うんだったらお前らが帰れ”と言っていた)を浴びながらも(拓郎はそんなに言われて無かったよ、と言っていた。また、実際に“帰れコール”をしたのは一部の観客だけだったとも言われている)堂々と歌い、最終的には大きな喝彩を浴びた。
4月から9月まで、ニッポン放送‘オールナイトニッポン’水曜日第2部、10月から翌年9月まで、金曜日第1部の、それぞれパーソナリティを務める。
1980年
6月5日、元々アルバム‘逆流’の収錄曲であった‘順子’が、ファンからの熱い要望によりシングルカット。同年8月にはオリコンのチャート1位に。この曲の大ヒットにより、一躍トップシンガーの仲間入りを果たす。
10月、‘ナウ?ジェネレーション/長渕剛のアピール26’(TBSラジオ)、‘長渕剛のひたすら60分’(ニッポン放送)のラジオパーソナリティを務める。またこの他、當時山梨鐐平などが結成していたグループ“Do!”とのジョイントバンド“チョコレッツ”を結成し、翌1981年まで活動していた。
1981年
8月、當時アイドル歌手だった石野真子と結婚。ニッポン放送‘オールナイトニッポン’で意気投合したことがきっかけとなり結婚した。ハワイでの結婚式の仲人は、自ら恩師とする吉田拓郎と淺田美代子夫妻(當時)だった。
1982年
‘青春は手品師’(アルバム‘時代は僕らに雨を降らしてる’に収錄)が、ドラマ‘王貞治物語’(TBS系列)の主題歌になる。珍しい阿久悠の作詞によるもの。ドラマには長渕本人もちらっと出演している(貞治の父親役)。
1983年
女性は家を守るという長渕の意見と石野の意見が合わず、挙句の果てに暴力をふるい石野真子と離婚(嫁姑問題だという説もある)。
8月26日、初の主演テレビドラマ‘家族ゲーム’(TBS系列)が放映開始、俳優としても本格的に活動を始める。同番組の主題歌であるシングル‘GOOD-BYE青春’がミリオンセラーとなる。
ドラマ‘青が散る’(TBS系列)の挿入歌‘人間(ひと)の駱駝(らくだ)’(歌:大冢ガリバー)の作曲を手掛ける(編曲:瀬尾一三)。因みに作詞は、秋元康、宮本輝の両氏。但し、現在ではこの楽曲の収錄が為されたLPは入手が相當困難である。
1984年
4月20日、主演したテレビドラマ‘家族ゲームII’(TBS系列)放映開始。
10月から翌年3月まで、TBSラジオ‘スーパーギャング’木曜日のパーソナリティを務める。
1985年
4月5日、主演したテレビドラマ‘家族ゲームスペシャル’(TBS系列)放映。
8月26日、‘HUNGRY’ツアーをスタートさせるも、翌年1月の日本武道館での公演を最後に、過労によりダウン。一時は重度の鬱狀態に陥り、予定されていた殘りのコンサートがすべて公演中止となる。
1986年
6月7日、主演したテレビドラマ‘親子ゲーム’(TBS系列)が放映開始。
10月22日、ギター弾き語りアルバム‘STAY DREAM’リリース。このツアーで、センターステージ上に於て長渕剛がギター1本で歌うスタイルが大好評を博した。
12月20日、出演した映畫‘男はつらいよ?幸福の青い鳥’が劇場公開。共演した志穂美悦子と再婚する切っ掛けに繋がった。
1987年
4月10日、主演したテレビドラマ‘親子ジグザグ’(TBS系列)が放映開始。
8月5日、アルバム‘LICENSE’をリリース。同年末の日本レコード大賞にてアルバム大賞を獲得。
8月28日、ゲスト出演したテレビドラマ‘スタンド?バイ?ミー 気まぐれ白書’(TBS系列)放映。
1988年
2月5日、8年越しのシングル‘乾杯’をリリース、ミリオンセラーとなる。
6月19日、コンサート會場として、初めて東京ドーム(BIG-EGG)に進出。
映畫‘男はつらいよ’での共演を切っ掛けに知り合っていた、一歳年上の女優の志穂美悦子と再婚(以後現在、2男1女をもうける)。女性は家事を守るという長渕の意見を受け入れたのか志穂美は芸能界を引退している。
10月7日、主演したテレビドラマ‘とんぼ’(TBS系列)放映開始。
10月26日、同ドラマのタイトル曲となる‘とんぼ ’をリリース、ミリオンセラーを記錄する。
12月3日、出演したテレビドラマ‘うさぎの休日’(NHK)放映。
1989年
3月11日、主演した映畫‘オルゴール’が劇場公開開始。
3月25日、アルバム‘昭和’リリース。ミリオンセラーとなる。
12月23日、主演した映畫‘ウォータームーン’が劇場公開開始。
1990年
12月31日、初のNHK紅白歌合戦出場を果たし、ドイツ?ベルリンで生演奏を披露するが、‘いつかの少年’‘親知らず’‘乾杯’の3曲を約15分演奏、そして放送中の発言が問題となり、NHKへの出入りは禁止と報道された(実際には翌年の‘音楽達人倶楽部’に出演している)。
1991年
10月10日、主演したテレビドラマ‘しゃぼん玉’(フジテレビ系列)が放映開始。
10月25日、シングル‘しゃぼん玉’リリース。ミリオンセラーとなる。
12月14日、本格海外レコーディングアルバム‘JAPAN’リリース。
1992年
‘西新宿の親父の唄’(アルバム‘JEEP’収錄)が、‘北の國から-'92巣立ち’の挿入歌となる。
1993年
9月22日、シングル‘RUN’リリース。ミリオンセラーとなる。
10月15日、主演したテレビドラマ‘RUN’(TBS系列)が放映開始。
11月1日、アルバム‘Captain of the Ship’がリリースされるが、この頃楽曲の歌詞盜作疑惑が持ち上がる。詩人?相田みつをに関連したもの。
1994年
9月9日、‘Captain of the Ship’ツアーをスタートさせるも、溶連菌感染症による體調不良により僅か3公演しか出來ず、殘りの日程はすべて公演中止となった。
9月23日、桑田佳佑がリリースしたアルバム‘孤獨の太陽’に収錄された楽曲、‘すべての歌に懺悔しな!!’の歌詞の內容を巡り、作詞、作曲した桑田と一觸即発の関系に陥る。事の詳細に関してはすべての歌に懺悔しな!!による論爭も參照。また、女優の國生さゆりとの不倫報道が大きく報じられる。
12月1日、ベストアルバム‘いつかの少年’リリース。
1995年
1月24日、大麻取締法違反で逮捕されるが、2月3日に処分保留のまま釈放。3月16日に起訴猶予処分となる。
12月26日、自身3度目となる【東京ドーム】にてライブを行う。
1996年
1月1日、再起後の最初のアルバム‘家族’リリース。東芝EMI所屬として、最後になるオリジナルアルバムである。
1997年
1月24日、‘とんぼ’の続編に當たるテレビドラマ‘英二ふたたび’が放映。
2月27日、フォーライフ?レコード(現在のフォーライフ?ミュージックエンタテインメント。略稱FLME)移籍。
7月2日、シングル‘ひまわり’リリース。
7月10日、主演したテレビドラマ‘ボディーガード’(テレビ朝日系列)放映開始。
9月3日、アルバム‘ふざけんじゃねぇ’をリリース。
1998年
鹿児島県の演歌歌手、日高正人シングル‘想い人’発売。日高の歌に感動した長渕が83年に書き下ろしていた曲で、日高の病気が原因で半分お蔵入りとなっていた曲。
1999年
5月1日、主演した映畫‘英二’が劇場公開開始。
2000年
8月12日、最愛の母?マス子が急性心不全により他界。享年72。
2001年
6月27日、8年ぶりのロサンジェルスレコーディングアルバム‘空’リリース。金髪&肉體改造で新たな長渕スタイルが出來上がる。
2002年
5月9日、アフガン抗爭に向けて発した反戦歌‘靜かなるアフガン’リリース。しかし事実上の放送禁止。NHKを始めとするテレビ局や各種メディアには採り上げられることが少なく、予想よりも話題にならず。それでも“指きりげんまん”以來のベスト20位入り。
6月26日、自身の選曲によるベストアルバム‘BEST~風~’、‘BEST~空~’各2枚組リリース。
2003年
4月、ニッポン放送‘オールナイトニッポンフライデー?長渕剛今夜もバリサン’放送開始。9月までパーソナリティを務める。
5月1日、シングル‘しあわせになろうよ’リリース。
空手道団體の極真會館から分派した、新極真會の発足に際し、同會の會歌‘新極真會の歌’(編曲は瀬尾一三と共同)を特別に製作する。因みに同年10月5日に東京體育館で開催された、“第8回全世界空手道選手権大會”の入場者にのみ、同歌のCDが配布されており、店頭販売はされていない。
12月31日、13年ぶりにNHK紅白歌合戦に出場する。森進一に楽曲提供した‘狼たちの遠吠え’では、歌う森のバックで長渕がコーラス&ギターセッションで參加し、話題になった。
2004年
4月28日、初のトリビュート?アルバム‘Hey ANIKI!’がリリース。
8月21日、鹿児島県の桜島特設ステージで、約7萬5千人の観眾を集めてのオールナイトコンサートを敢行させ、大成功を収める。
11月14日、ファンクラブ特別イベント“Thank You LIVE 2004”をスタート。
12月1日、シングル‘金色のライオン’リリース。京セラの攜帯電話のテーマソングとなる。CM曲に長渕の曲が採用されたのは1988年の明治チョコバーBODY(‘STAY DREAM’)、1990年頃のキリンラガービール(‘乾杯’)等がある。
2005年
8月24日、東映‘男たちの大和/YAMATO’の主題歌として書き下ろした‘CLOSE YOUR EYES’リリース。自身の主演映畫作品以外での主題歌使用はこれが初めて(テレビドラマでは以前に“逆流”“友よ”“指きりげんまん”等あり)。また、カップリングの‘YAMATO’と合わせて、両A面シングルとなっている。両A面シングルは‘順子/涙のセレナーデ’以來2度目である。
2006年
2月8日、東芝EMIより東芝所屬時代のオリジナルアルバムが“24bitリマスタリングアルバムシリーズ”として再発売。
2月21日、立正中學校?高等學校100週年記念ライブ。東京都品川區の立正中學校?高等學校の創立100週年記念式典で長渕が熱唱。バンドメンバーも勢揃いして、約2時間におよぶステージで全14曲を演奏。初めはあっけにとられてじっと見つめるだけだった生徒も、遠慮がちに座ったまま見ていた生徒達も、そして先生も、いつのまにかライブに引きこまれ、會場全體が熱気と感性で溢れかえった。會場には‘俺達の兄貴、長渕剛’という巨大な旗も掲げられた。このライブ終了後、長渕は‘若い純粋な反応がとても新鮮だった。彼等の真っ直ぐなエネルギーに負けないように俺も頑張らないとね’と笑顏を見せた。
3月8日、東芝EMIより東芝所屬時代のベスト&ライブアルバムが“24bitリマスタリングアルバムシリーズ”として再発売。
3月19日、“桜島オールナイトコンサート”を記念したモニュメントが建立され、除幕式に參加。
4月23日、作品にも度々登場し、長渕音楽の原點とも言える父?邦治(くにはる)さんが他界。享年77。
6月29日、鹿児島中央駅アミュ広場でゲリラライブ。來場は約7000人程。ライブ狀況はエフエム鹿児島‘MUSIC POWER STATION feel the μzic DA!!’で生放送された。
7月1日、霧島市で新極真空手新保道場開きにてライブ。
7月2日、南日本放送ラジオの第二スタジオでスタジオライブ、観客は抽選で選ばれた約50人。司會はMBCタレントのスマイリー園田、ゲストミュージシャンはMC般若で公開生放送された。
7月14日、‘長渕剛3daysドキュメント’放映-南日本放送TV‘Mixx’
7月22日、7月2日公開放送で未放送のアンコール部分を南日本放送ラジオで特集して放送。
8月30日、山本寛斎がプロデュースする‘日本元気プロジェクト KANSAI SUPER SHOW“太陽の船”’のイベントテーマソング‘太陽の船’を手がけることが発表され、同曲が公開された。
10月9日、10月16日放送の‘くりぃむナントカ’“第2回長渕ファン王決定戦”に出演。六本木のカラオケBOXにて、観客3人(上田晉也、ワッキー、大八木淳史)の前で2時間半12曲のライブを行う。あまりの迫力にくりぃむしちゅーの2人やワッキーはもちろん、もともとファンという程ではなかった大木優紀アナウンサーも感動して涙を流し、改めてその圧倒的な存在感を見せつけることとなった。バラエティ番組に出るのは‘おしゃれカンケイ’以來のことだが、この出演は第1回“長渕ファン王決定戦”のスペシャルを再放送を観て心を動かされた本人からの“最後に(俺が)出たら面白いだろう”という要望によるもの。有田の似てないモノマネに爆笑するなど収錄を楽しんでいた。この圧倒的なライブパフォーマンスは視聴者に強烈な印象を與え、翌周のオリコンランキングに、長渕のベストアルバムなど數作品が再浮上した。
2007年
5月4日、幕張メッセで行われた“どきどきフリーマーケット”のステージにゲスト出演し、“Come on Stand up!”をはじめ、自身の曲のライブを行った。その模様はBAY-FMを通じて公開されていたが、オンエア後もライブは継続され、フリーマーケット終了30分前まで続いた(これは、観覧していたファンの度重なるアンコールに答えた本人の力が大きい)。
5月16日、4年ぶりのオリジナルアルバム“Come on Stand up!”リリース。全12曲新曲(桜島DVDに収錄されていたものの未CD化だった“夕焼けの歌”を含む)、先行シングルなしという昨今の音楽業界の常識からすれば型破りなアルバムにも関わらず、オリコン初登場4位。
6月6日~7月11日、自身初となる女性限定ライブ“Lady's Night2007-Acoustic-”ツアー。
9月7日~12月9日まで自身2年ぶりとなるツアー“2007 ARENA TOUR ?Come on Stand up!?”ツアーが行われた。
10月12日より放送開始の、TBS系列テレビドラマ“歌姫”の主題歌に、長渕による作詞作曲‘青春 SEISYuN’が起用されることになった。歌を歌うのはTOKIOで、TOKIOにとっては中島みゆき、甲斐よしひろに続く大物アーティストによる楽曲提供となった。
2008年
5月14日、21日、過去に発表された楽曲の中からラブソングを中心にリマスタリング、セルフカバー、リミックスを施して選曲したベストアルバム“LOVE”、“SONGS”を発売予定。
2013年
5月22日,長渕剛將以個人唱片形式發佈新單曲《未來》的手機鈴聲版。《未來》這首新歌在即將於5月25日上映的由日本知名女演員仲間由紀惠主演電視劇《小島上的老師》中,作為主題曲進行播放。 [1] 
2014年
9月18日,長渕剛10萬人オールナイトライブ in 富士山麓 記者発表會を実施
12月31日,參演第65回NHK紅白歌合戰,演唱曲目《明日へ続く道》 [7-9] 
2015年
6月21日,靜岡県富士宮市「淺間大社」の境內にて、新曲「富士の國」の奉納ライブを開催。6月22日,シングル「富士の國」リリース。
7月18日-8月30日
瀬戸內市立美術館 開館5週年「長渕剛 詩畫展2015」開催。
8月22日-8月23日
長渕剛 長渕剛
伝説となった10萬人オールナイト・ライヴ in 富士山麓を成功させる。 [2] 

長渕剛主要作品

長渕剛音樂

乾杯
巡戀歌
GOOD-BYE 青春
STAY DREAM
LICENSE
とんぼ
MYSELF
勇次
人間
LIVE
LIVE(43張)
しゃぼん玉 [3] 

長渕剛著書

‘俺らの旅はハイウェイ’(八曜社,1981年)ISBN 4827000573
長渕剛、面谷誠二着 ‘君はギターの弦を切ったことがあるか’(八曜社,1984年)ISBN 4827000778
‘長渕剛詩集’(ヤマハ音楽振興會,1988年)ISBN 463616637X
‘前略、人間様。:長渕剛詩畫集’(新潮社,2001年)ISBN 4101184313
‘情熱:長渕剛詩畫集’(角川書店,2004年)ISBN 4048537660

長渕剛音樂專輯

風は南から 1979.3.5
逆流 1979.11.5
乾杯 1980 .9.5
長渕剛LIVE 1981.3.5
BYE BYE 1981.10.1
時代は僕らに雨を降らしてる 1982.9.1
HEAVY GAUGE 1983.6.21
SUPER LIVE IN 西武球場 1983.8.25
FROM TN 1983.11.28
HOLD YOU LAST CHANCE 1984.8.18
HUNGRY 1985.8.22
BEST NOW 長渕剛 1978年~1981年 1985.12.21
LOVE SONGS 1986.5.1
STAY DREAM 1988.10.26
LICENSE 1987.8.5
NEVER CHANGE 1988.3.5
SINGLE COLLECTION 1988.12.4
昭和 1989.3.25
長渕剛LIVE’89 1990.2.21
JEEP 1990.8.25
JAPAN 1991.12.14
CAPTAIN OF THE SHIP 1993.11.1
ALBUM アルバム
ALBUM アルバム(46張)
いつかの少年 1994.12.1
家族 1996.1.1
LIVE COMPLETE ’95-’96 1996.10.25
ふざけんじゃねぇ 1997.9.3
SINGLE VOL.1 SINGLE VOL.2 SINGLE VOL.3 1997.12.10
SAMURAI 1998.10.14
長渕 剛 アコースティック 俺の太陽 1999.12.22
空 2001.6.27
BEST ~空~ BEST ~風~ 2002.6.26
KEEP ON FIGHTING 2003.5.14
長渕 剛 ALL NIGHT LIVE IN 桜島 04.8.21 2004.11.20
YAMATO 2005.10.19
COME ON STAND UP! 2007.5.16
LOVE 2008.5.14
SONGS 2008.5.21
FRIENDS 2009.8.12TRY AGAIN 2010.11.10
STAY ALIVE 2012.5.16 [4] 

長渕剛獲獎記錄

日本電影學院獎
  • 1990-02-23    第13屆最佳電影配樂    八音盒[5]     (提名)    
參考資料