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新撰組顛末記

鎖定
《新撰組顛末記》是新人物往來社出版的圖書,作者是永倉新八
書    名
新撰組顛末記
作    者
永倉新八
出版社
新人物往來社
出版時間
2009年5月14日
頁    數
255 頁
裝    幀
A6判
ISBN
9784404036001
售    價
700 (税込)
內容簡介
新選組の副長助勤となり、のちに二番組長を兼任した新八は、近藤勇らとともに池田屋へ斬り込んだ。 新選組隨一の遣い手として幾多の戦闘に加わり、十三人の大幹部のうち、ただ一人生き殘った。 北海道に渡り小樽に住んだ新八は、孫たちを相手に新選組の懐舊談を語り、記録に綴る晩年を送るが、大正二年(一九一三)三月から、『小樽新聞』記者の取材に応じて語った連載をまとめたのが本書である。 近藤勇や土方歳三らとの交友、池田屋の亂闘、血の粛清など、幕末動亂の修羅場をくぐりぬけた者のみが知る生々しい証言が語られている。 浪士組上洛 新撰組結成 池田屋襲撃 禁門の変 高台寺黨粛清 鳥羽伏見の激戦 近藤勇の最期 會津転戦 新撰組資料 同志連名記―杉村義衞遺稿 永倉新八[ナガクラシンパチ] 1839年(天保10)、江戸生まれ。本姓長倉。元は松前藩士。武者修行中に近藤勇に出會い浪士組に參加、新選組結成後は二番組長を務めるなど新選組草創期からの中心人物で、池田屋事件、油小路事件などで活躍、鳥羽伏見の戦いでは、新政府軍の銃弾に対して刀一つで突撃する豪膽さも見せた。甲陽鎮撫隊や靖共隊(靖兵隊)に屬して戦うが、米沢より江戸へ帰還。松前藩への帰藩が許され、藩醫の杉村介庵の婿養子となり杉村治備(後に義衞)と名乗る。北海道松前に渡り、その後小樽へ移り、樺戸集治監の剣術師範となる。退職後は東京へ戻り、剣術道場を開くが、小樽へ再度移り住む。數少ない新選組幹部の生き殘りとして、板橋に近藤勇、土方歳三の墓を建立した。1915年(大正4)、病沒(本データはこの書籍が刊行された當時に掲載されていたものです) [1] 
參考資料